小学生のころ、私はよく“通学途中で消える子”でした。
いわゆる不登校です。
🎒 ランドセルを背負ったまま列に混じり、みんなと同じ道を歩きます。
けれどある地点で、ふっと横道に逸れてしまうのです。
向かう先は、学校ではなく山でした。
🌳 山に入った瞬間、空気が変わります。
教室のざわめきも、チャイムの音もなく、ただ風と鳥の声だけが響いていました。
🍄 椎茸の苗木が積まれた隙間に潜り込み、土の匂いを嗅ぎながら眠ったこともあります。
私にとっては、それが「山学校」だったのです。
🌳 森のなかで得た安心
あのときの私は、無意識に知っていたのかもしれません。
「お金も、通知表も、社会のルールもなくても、人は安心して生きられる場所がある」と。
🌲 山で一人、時間を過ごす。
不便さの中で見つけたのは、不安を溶かしてくれる静けさでした。
それはサバイバルというより、安心に帰る行為でした。
🔥 これが、今の私にとって ソロキャンプをしたいという原点 になっています。
🌊 自然の呼び声
大人になった今、その記憶がまた胸の奥で蘇ります。
あのころ私を包んでくれた山が、今度は海と一緒に呼んでいる気がするのです。
🌊「もう一度、自然に戻ってきなさい。」
🔥「火を囲み、風に揺られ、ただそこにいていいんだよ。」
📚 経済やお金の仕組みについて、それなりに学んできました。
ロスチャイルドや通貨発行の流れ、敗戦後の日本やドイツ、アメリカ国債の構造。
知識として理解してきましたが、やはり私が選ぶのは自然です。
今年で40歳になります。
会社員として働き、離婚も経験し、子どもたちに養育費を払いながら暮らしてきました。
気づけば、「世の中の当たり前」とされるものを、たくさん、たくさん集めて生きてきました。
だからこそ、いま自分の声に従って動くことには勇気がいります。
🌱 結び
通貨に縛られない生き方は、大きな革命ではありません。
あの日の私が通学路を外れて山に入ったように、
ただ、ふっと別の道を選んでみるだけのことです。
その道が正解かどうかは、誰にもわかりません。
正解は一つではなく、人それぞれにあるのだと思います。
だからこそ、自分にとっての答えを、自分で選んで、感じてみるしかありません。
私の場合は――ただ、ふらっと山に戻ってみる🌲
それだけで、十分なのかも🌿

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