🌿 はじめてのアヤワスカ体験──自分を取り戻す旅の記録
2024年の夏、私は人生の転機となるかもしれない冒険に出る決心をしました。
それは、タイでのアヤワスカ体験。
この旅を決意するまでのプロセスは決して簡単ではなく、私自身の心の葛藤や期待、そして恐れが入り混じったものでした。
🍃 アヤワスカとの出会い
アヤワスカのことを初めて知ったのは、信頼できる知人の体験談をきいたことがきっかけでした。
彼は私に、アヤワスカがどれほど強力で、同時に癒しの力を持つかを熱心に語ってくれました。
そしてこの動画を何度も見ました⇩
しかし、ネットでの情報は断片的で、しかもその効果が強烈であるがゆえに、私は最初、一歩を踏み出すことに躊躇していました。
だからこそ、自分にとって信頼できる情報源からの確認が必要だと感じたのです。
✈️ 準備と決意
「なぜアヤワスカを受けようと思ったのか?」と聞かれたら、正直にこう答えるしかありません。
直感です。
「うけたほうがいい!」と、理屈ではなく、なにか心の深い部分でそう感じた。ただそれだけでした。
今回の旅においては、期待しすぎず、でも心はオープンにして臨むこと。
その姿勢が何よりも大切だと、自分に言い聞かせてきました。
📅 出発までの準備
アヤワスカの予約をしてからタイへの出発までのこり1ヶ月を切った頃・・・
その時ふと、「あ、パスポート持ってない」と気づき、そこから急いで申請。
なんとかギリギリで出発に間に合いました。
✅ 実際の旅程と持ち物:
- 行き先:タイ・チェンマイ
- セレモニー地:チェンマイ → サンペドロ
- ホテル:トップノースホテル(9/11〜13)
- 持って行って良かったもの:
- サンダル
- eSIM(Airalo)
- Google翻訳 / Bolt
- 軽いデイバッグ
- 最小限の財布
🍽 食事面の注意(1週間前から)
- 添加物を避ける
- 揚げ物や重たい食事は控える
- 心も軽やかに整えておく意識
🌏関空→上海→チェンマイ──やっと辿り着いた出発点
今回のアヤワスカの旅は、実はちょっとした冒険でした。
というのも、日本からチェンマイまでの直行便がなかったため、関空→上海→チェンマイというルートを選ぶことに。

関空を出発したのは午後5時。そこから乗り継ぎなどを経て、チェンマイに到着したのは夜11時ごろ。長旅でさすがに少し疲れましたが、ようやく“本当の意味での旅の始まり”に立てた気がしました。
宿泊先のホテルにチェックイン。翌日、近くのセブンイレブンで現地で必要なものを買いそろえることができたので、ひと安心。水や軽食、SIMカードなど、思ったよりもスムーズに準備できました。

このタイミングでふと、「ああ、もう戻れない場所に来たんだな」と思ったのを、今でも覚えています。
⇩アヤワスカセレモニーの外の光景

🔥アヤワスカの夜──神聖さを肌で感じた瞬間
アヤワスカのセレモニー中、撮影そのものは許可されていました(ただし“光を出さないこと”が絶対条件)。

そのため、スマホのライトはもちろん、カメラから漏れそうな小さな光すらも黒いテープでしっかりと覆い隠して臨みました。
会場を照らしているのは、わずかなろうそくの火だけ。
電気も人工の光もない空間で、ただ静かに、自分の内面と向き合う──そんな神聖な時間が流れていました。
着る服にも指定があり、僕は白いTシャツと白い半ズボンを選びました。
これは“浄化”や“受け入れる準備ができている”という意味を持つそうです。
暗闇に灯るろうそくの光は、外の世界ではなく、内なる光を照らしてくれる。
まるで心の奥底で揺れていた小さな光に、そっと手を当ててあたためるような、不思議な感覚がありました。
🔮 アヤワスカ体験の流れ(ざっくり時間経過)
✍️ はじまりはノートからだった
最初の1時間、何も起こらず…
「せっかくタイまで来て、何も起きなかったら…笑えないぞ」と焦りながら、
持ってきたノートを開き、まずは思いの丈を吐き出しました。
- 父・母・元パートナーへの不満、寂しさ、怒り…
- 書き出していくうちに、気づけば感謝の言葉に変わっていた
この「気持ちの吐き出し」こそ、アヤワスカのはじまりだったのかもしれません。
🌿 アヤワスカ体験で気づいた7つのこと(やさしく、ひとつの物語のように)
🌈 ビジョンとメッセージ
体験中、目の前に現れたのはイルミネーションのような光景。
まるで遊園地のようにキラキラと輝いていた世界は、
右脳とつながった感覚そのものでした。
そこから得た気づきは、次のようなものでした:
🟩 1|勇気って、“怖いけど進む”ことだった
英語が話せなくて、海外も初めてで、不安だらけ。だけど、それでもタイ行きを決めた。
今思えば──あの「一歩踏み出した瞬間」こそ、すでにアヤワスカの旅が始まっていたんだと思う。
セレモニー中も「もう帰りたい」と思う場面が何度もあった。でもそのたび、どこか見えない存在が「大丈夫だよ」と背中を押してくれた。
怖くても、完璧じゃなくても、一歩ずつ進むこと。それが“自己信頼”につながっていくんだと初めて知った。
🟨 2|父と向き合うことは、過去の自分を癒すことだった
昔から、父への怒りや悲しみが心の奥に残っていた。自分に自信が持てなかったのも、そこが影響していたのかもしれない。
アヤワスカ中、心がモヤモヤして、ノートに「父への不満」を一気に書き出した。すると、不思議と感謝の気持ちも湧いてきた。
帰国後、思い切って父に電話。いろんな思いを話したあと、「ありがとう」と伝えると、父も「ありがとう」と返してくれた。
それは父との和解であり、同時に、自分自身との和解でもあった。
🟦 3|現実は、心の中から生まれていた
アヤワスカの世界では、自分の思いや感情がそのまま映像や体感になって現れた。
イヤな記憶を無視しようとすると、もっと強く現れた。でも、それを受け入れると、自然と消えていった。
「現実って、こうやって自分の内側からできていたんだ」
本や人から聞くよりも、体感したことで深く腑に落ちた。
🟪 4|“ケンちゃん”は、ずっと僕の中にいた
“ケンちゃん”は、僕の子どもの頃のあだ名。
いつからか「ちゃんとしなきゃ」「バカにされたくない」と思って、無邪気な自分をどこかに閉じ込めていた。
でもアヤワスカの中で、ケンちゃんが現れて、こう言った。
「ようやく会えたね」
その瞬間、心の奥がじんわり温かくなった。
ふざけてもいい。素直でもいい。本音で生きていい。
“ケンちゃん”でいることこそ、僕らしさだった。
🟫 5|アヤワスカの“声”は、いつも聞いていた“直感”と同じだった
体験中に聞こえてきた優しい声。それは、日常でもたまに聞こえる“直感の声”ととてもよく似ていた。
あの声は、ハイヤーセルフ?真我?──なんでもいい。
でも確かに、あの声はずっと僕の中にあった。
これからは、迷ったときこそ、静かな“あの声”を大事にしていきたい。
🟠 6|全部を悟らなくていい。これはまだ“始まり”だった
最初は「この1回で全部の答えを知りたい」と思っていたけど、メッセージは違った。
「焦らなくていいよ」「これはまだ始まり」──そんな声が聞こえた。
大事なのは、一つひとつの気づきを味わっていくこと。
そしてまた次の旅を、楽しみにしていればいい。
🔵 7|日常の中にも、アヤワスカはあった
セレモニー中は、とにかく“気づく”ことに意識が向いていた。
でも考えてみたら、日常の中にも、同じような気づきはあったのかもしれない。
違うのは、「意識を向けていたかどうか」だけだった。
だから思う。
毎日がアヤワスカ──そんなふうに生きていけたら、人生はもっと豊かになっていく気がする。
🎯 最後に:アヤワスカがくれたメッセージ
- 本当の癒しは、誰かと和解する前に「自分と向き合うこと」から始まる。
- どんな気づきも、アウトプットしなければ忘れてしまう。
- 大切なのは、体験をどう“日常に活かすか”。
答えは遠くにあるんじゃない。
──すでに、目の前にあったんだ。
🎯 最後に:アヤワスカがくれたメッセージ
- 本当の癒しは、誰かと和解する前に「自分と向き合うこと」から始まる。
- どんな気づきも、アウトプットしなければ忘れてしまう。
- 大切なのは、体験をどう“日常に活かすか”。
答えは遠くにあるんじゃない。
──すでに、目の前にあったんだ。
🌿まとめ|気づきは“旅の中”じゃなく、“日常”にこそあった
アヤワスカの体験を通して、僕は「答えは外にある」と思っていたことに気づかされました。
でも実際は──
- 勇気を出して旅に出たあの日から、すでに儀式は始まっていた
- 癒しは、父との和解ではなく、自分との対話から始まった
- 直感は“特別なもの”ではなく、日常でもずっと鳴り続けていた声だった
そして気づいたんです。
どんな深い気づきも、行動しなければ忘却されていく。
大事なのは、特別な体験そのものではなく、
それを どう「日常に還元するか」 だった。
つまり──
「毎日がアヤワスカ」なのかもしれない。
この体験で得たものを、これからの一歩一歩にちゃんと乗せていく。
それが僕にとっての「アヤワスカの本当の効き目」でした。
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